みろこのブログ

どうせ生きるならコンテンツとして消費されたい

この時代に言葉と向き合う贅沢

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他人の心情を吐露した表現に向き合い

咀嚼し

自分の内部に取り込み消化し

ストックするなり何かを生み出すなりするということ

 

言葉も情報も溢れている時代に

あえて古い詩を読み返し立ち止まり時を遡る贅沢が

本当に充実したひとときであるかは分からない。

 

情報をさばくことに精一杯の毎日に

あえて古い詩の世界に迷い込み言葉と向き合い難解な表現を処理する過程が

本当に必要な生命活動なのかは分からない。

 

若い詩人もいる

 

高次なコミュニケーションが効率的なのかは分からない

これが言葉を守ることに繋がるのであれば意義があることだと思う

 

生きるために言葉を発している人がいる

 

都会の雑踏で他人のひとり言に向き合う余裕はない

すべての辛い思いを昇華できる能力はない

それでも満たされない思いや辛さが作品となり世に放たれる

 

情報発信のノウハウが溢れそれが必須の能力と見なされ始めたこの時代に

あえて人間の内部に踏み込んでそこにあるかどうかもわからない何かを探索することが有意義な行為なのかは分からない

 

知らないほうが幸せなことはたくさんたくさんありすぎる